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カフェ・ド・ ここあ

カフェ・ド・ ここあ

祈り会

祈り会

  

 その頃の私は、子育てと仕事、またいろいろな人間関係などで、イライラすることが多かったような気がします。主人との関係も、決して良い状態とは言えませんでした。楽しい事もたくさんありましたが、いつも何か不満があるというか、満たされていないような感じだったと思います。

 教会のコーラスに行き始めて、牧師先生といろいろお話するようになってから、家でも学生時代に「キリスト教倫理」の教科書として使っていた「新約聖書」を読むようになりました。学生時代の「キリスト教倫理」の授業では、「天地創造」などのビデオも見たし、有名な聖書の箇所も勉強しましたが、難しくてよく理解
できませんでした。(シスターが先生でした)自分でもう一度聖書を読み始めて、少しずつ、なんとなく「聖書にはこんなことが書いてあったんだ」くらいはわかるようになりました。

 その年の夏は、牧師先生ご家族が、スウェーデンに帰省されるので、賛美歌の伴奏者がいないから、ぜひお願いしたいと頼まれのですが、なかなか日曜日にひとりで教会に行く決心がつかず、賛美歌の伴奏をすることはできませんでした。

 それでも、先にクリスチャンになっていた友人が家に招いてくれて、その後、教会の「祈り会」に連れて行ってくれました。4~5人の小さな集まりでしたが、自分のことだけでなく、突然お邪魔した私たちのことまで、とても熱心にお祈りしてくださり、感動しました。

 それからというもの、毎週木曜日の「聖書の学び」に参加させていただくようになりました。牧師先生がある聖書の箇所をわかりやすく、丁寧に教えてくださり、ひとりひとりのためにみんなでお祈りをします。ある時、祈っていただいていると、なぜだか私はうれしくてうれしくて涙が止まりませんでした。神様に(イエス
様に)愛されているんだ、イエス様の十字架によって赦されているんだ, ということを、心の底から実感したのだと 思います。

 その頃から私は、毎朝ひとりで聖書を読み、お祈りする時間を持つようになり、「洗礼を受けてクリスチャンになりたい」という思いがとても強くなってきました。でも、そんな私を見て、主人はいろんな宗教の本を読み始め、私が洗礼を受ける事に反対し、許してくれませんでした。

 確かに私にも不安はありました。私の伯母家族(父の姉)はクリスチャンファミリーなので、私の両親は反対しないだろうけど、主人の実家では仏教や神道やいろいろなものを熱心に拝んでいるから、絶対に許してもらえないだろうと。

 そんな時に与えられたのが最初に書いたみことばでした。私たち家族は実家から遠く離れて暮らしているので、両親や兄弟のことをいつも遠くからでもお祈りしていたい。自分だけのために洗礼を受けるのではなく、家族のため、遠く離れている主人や私の両親のことを祈るためにも洗礼を受けたい、と考えるようになりまし
た。

                       


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